甲斐犬オヤジの独り言59


聖寿万歳」 

皇紀弐千六百七十五年   平成二十七年   西暦二千十五年

 

 

旧年中は皆様大変お世話になりました。今年もよろしく、ご指導、ご鞭撻の程お願い申し上げます。

 

元旦の産経新聞の一面に、時を超え眠り続ける「誇り」 天皇の島から との見出しに引き寄せられ、いっきに一面、三面を読んだ。 日本の大手新聞で本当にマトモな新聞は産経だけである。この見出しで特集を組めるのも産経ならではである。いち読者としてエールを送りたい。グット・ジョブだね。敗戦から今年70年の節目を迎えるが、天皇、皇后両陛下がパラオ共和国を慰霊の訪問をされることが決まった。パラオは昭和20年まで日本の統治下にあり、31年間日本と日本人と共に暮らしてきた島々である。

 

●パラオ共和国

赤道に近い太平洋上に位置し、大小500以上の島を抱える。総面積は488方キロ

1920年第一次世界大戦後の結果、日本の委任統治下に入る。

先の戦争後、米国の統治下になるが、平成6年共和国として独立

10島に人が住み人口は2万920人

日本委任統治時代パラオに南洋群島を管轄する南洋庁本庁を設置する。

日本は学校、病院、気象台、郵便局など建設し、道路等インフラも整備する。

最盛期昭和18年には2万7444人の日本人が住んでいた。

 

--- 産経新聞より抜粋 ----

 

なかでもぺリリユー島の日米の壮絶な地上戦はあまりにも有名である。しかし、島民が犠牲になった記録はないのである。
そして「天皇の島」とは米軍が呼称したものである。

米軍がぺリリユー島に上陸したのは昭和19年9月15日。日米の軍事力の差は、人員で4倍、銃火器等8倍、戦車10倍という圧倒的物量であった。

島の攻略に米軍は「3ディズ、メイビー2ディズ」「3日多分2日だろうと」豪語していたのである。しかし、実際の戦闘は昭和19年9月15日から74日間にわたり、壮絶で激しい修羅場のような戦闘が繰り広げられたのである。

戦史書によると日本軍守備隊9838人、米軍4万2千人であり、日本軍戦死者1万22人、戦傷者466人を出し玉砕。米軍死者1684人、戦傷者はなんと7160人を出したのである。

なおこのぺリリユーの戦闘で生還できた日本軍人は34人だけである。

日本軍の抵抗には米軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ海軍大将が「ぺリリユーの複雑極まる防衛に打ち勝つには、米国の歴史に置ける他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率を出した」と述べている。

以前の「独り言」にも書いたのだが、ぺリリユー神社の境内には「日本軍の戦いぶりに衝撃を受けた太平洋艦隊総司令長官のニミッツの作として」「諸国から訪れる旅人たちよ 此の島を守るために日本軍がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」との石碑がある。

米国の公刊戦史には次の一文が載っている。

「此の島を訪れる旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・・」


産経の記事中に二人のぺリリユー戦に参戦した米国人のコメントがあり、(アンダーウッド元大佐とワグナー隊員)アンダーウッド氏は「日本軍は負けると判かっている戦争を最後まで戦った。この忠誠心は天皇の力と知って、ぺリリユー島を”天皇の島”と名付けた」と述べ、ワグナー氏も「日本軍人の忠誠心に最高の敬意を表す」と述べている。

だが多くの島民も70年前の戦争を忘れていないのである。元ぺりりユーの駐日大使だった方が「日本軍は、ぺリリユーの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」

しかし、現実には多くの日本人が忘れているのだ。祖国を憶い、銃後の日本人を守るために、家族、女房子供を守るために、知人友人を守るために、日本の国土そして庭木1本、路傍の花1輪を守るために、矢玉尽き、食糧がなく、マラリアや疫病を患っても、最後は抜刀して玉砕した日本軍人の魂に触れたなら、敵の米軍でも称賛するのである。それを本家の日本人が忘却しているのである。これは日本民族、日本人としての大罪であり、罰あたりのなにものでもない。


ここでぺリリユー島の女性が作った日本語の歌を紹介しよう。題名は「緑の島のお墓」


遠い故郷から はるばると お墓を参りに ありがとう 緑のお墓の お守りは ペ島にまかせよ 海の中にも 山の中 ジャングルの

中にも 土の中 英霊よ よろこべ 安らかに 一緒に暮らそよ とこしえに

ぺ島の願いは ただひとつ 日本とぺリリユーは 親善の友 かよわい力 よく合わせ 知らせて送れよ 祖国まで 伝えて送れよ 祖国まで父母兄弟妻や子に

僕らは緑の 島暮らし 涙をおさえて さようなら 涙をおさえてさようなら

 

昭和57年ぺリリユー神社が再建されたが、清掃、管理は島民がしてくれているとのこと。日本人の一人として島民の方に感謝申し上げたい。ぺリリユー神社の御祭神は天照大神と日本軍守備隊一万余人の英霊。そして多くの島民が慰霊碑の建設や遺骨収集などに協力しているとのこと。記者が「なぜ日本兵の慰霊に拘るのか尋ねると「31年にわたる委任統治時代を通し、日本に対して特別な感情が育まれていた。日本への思いは深い」と語っている。

今回の「独り言」は産経新聞の記事を要約した内容なのだが、台湾しかり、東南アジアしかり、南洋の国しかり、当時の日本軍に敬意を抱くことはあっても、侵略されたなどとほざく国は、シナ、南・北朝鮮、の3国のみである。しかし、何度も記すが、徹底的な愚民の恩知らずは誰あろう日本国民なのである。この愚かな国民は真理や理性、事実の深層を追及するのではなく、感情と情緒で常に判断すると謂う薄っぺらなシチュエーションなのである。つまり、シナ人朝鮮人と思考が同じである。

私が十代の頃、後輩が私の部屋にある西郷南州翁の掛け軸を見て、「西郷隆盛はケイテンとゆう愛人が居たんですか」と尋ねたのにはさすがにびっくりした。
「敬天愛人」は南州翁がよく使ったと謂われている。しかし昨今の愛人との表現は妾、2号で本妻以外を指す言葉に成ってきているが、その時代にそんな訳もなく、愛人とは人の為に生きよ、人の為に死せよとの意味だが、昨今の愚民もこんなもんだろう。
国や国民を守る為に散華された英霊を誹謗、中傷して蔑む似非日本人だからどうもならんわ。

 

 

平成27年 睦月 小林

 

 

 

 

 

【KSM】誇りある「大和魂」を目覚めさせる言葉集、こんなにも日本は愛されている

 

 

 

 

【 遠くの声を探して 】大東亜戦争前史

日本が戦ってくれて感謝します。パラオ編Part2がでますので是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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