甲斐犬オヤジの独り言58


「 師走 今年もいろいろありました」 

 

 

拙い「甲斐犬オヤジの独り言」をご覧戴きました皆さま、源友会の仲間の皆さま、甲斐犬を通した知人の皆さま、この一年誠にありがとう御座いました。この場をお借りいたし致しまして、ご厚情に感謝申し上げる次第であります。

今年も色々あったが、個人的には2月早々何百年に一度の大雪である。2週間以上車が出られず、往復2時間半掛けて雪道の買い出しである。これが田舎暮らしの欠点だわな。真っ先に買うものは当然酒と煙草である。普段飲んでいる芋焼酎一升箱入りの黒霧島44本と煙草はいつも吸ってるパーラメントエクストラライト2カートン、非常用ということで缶詰持てるだけ購入し、背中のリュックには焼酎と煙草、両手にはいっぱいの缶詰いりのレジ袋をぶら下げ、自宅に着いたときには、顔から汗が滴り落ち、体中汗でグッショリ。
「おら、こんな村やだ〜」てなもんだが、田舎暮らしの欠点だわい、それも仕方なかんべ。何事もポジィティブにだ。

今年の最大の出来ごとと謂えば、やはり朝日新聞の一部ではある。所謂「従軍慰安婦」の強制性はないと認めたものであるが、吉田清治なる詐欺師、作話師?日本人の仮面を被った人非人の虚偽を認めた以上、30年に及ぶこの捏造記事を垂れ流した朝日新聞の大罪は許されざるべくもなく、朝日新聞の解体しかないのである。戦後朝日は、日本は太平洋戦争でアジアを略戦争をしたとし、その反省から、戦後の民主主義、平和主義で今日まで来ているとの論旨で、朝鮮人の強制連行、従軍慰安婦の強制連行等散々大嘘を垂れ流し続けてきた。
確かに左翼の似非日本人が謂うところのポツダム宣言を受諾し、アメリカの占領を認めたからその趣旨に従い、日本は侵略戦争をした加 害者だ、 との歴史観で世論を誘導して、オピニオン・リーダーのつもりになったのだが、もうこの朝日や気違い左翼の論理は破綻しようとしているのが事実なのである。しかしこの左翼の論理を鵜呑みにしている大衆が今だ多くいるのも又事実である。

オルテガの謂う大衆とは愚かな民のことであり、一般人とは違うのである。そして、心理的負い目を利用して慰安婦問題を執拗に取り上げてきたのが朝日新聞なのである。つまり、反日の朝日は国が強制連行をしたことの一点突破で、事実や史実を無視続けてきたのであるが、無視できないところまで追いつめられ、強制連行はなかったとの一部を認めた訳である。
シナの南京大虐殺も朝鮮人の強制連行も憲法9条も反核も反原発も皆同じ根っこで繋がっているのだ。これ等の先に有るものはアメリカの占領政策に他ならづ、戦後左翼とは占領政策の優等生なのである。そして敗戦利得者であり金の亡者でもある。
真の日本の独立は、アメリカの戦争史観、つまり戦後体制からの脱 却しかな いのであるが、既得権益を持つ戦後左翼との闘いなのである。

産経新聞に思想家の言葉として三島由紀夫が取り上げられていた。まず有名な一節から、、、

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思ってる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

もし日本人の日本人らしさが「豊かさ」にあるとしよう。ではそれを失ったらどうなるのか?他国がより安い製品を作れば失われてしまう。そんな場当たり的な価値観を「日本人らしさ」の基準にしていいのか。

私は万博に酔いしれる人々はもちろん、彼ら大学生(全共闘の学生の事)とも違う。学生たちは私三島を誤解しているし、半分までしか理解しあえない。なぜなら自民党がつくりあげた戦後社会を、私三島は呪っているからだ。
「からっぽな」社会を否定する気分は、学生と同じだ。では何がちがうか、それは私は日本の文化を守るために戦後を否定しているのであって、学生のように破壊と否定、革命だけを夢想していないからだ。
私には明確な目標がある、否、正確にいえばまだ果たしてない「約束」がある。それは戦前の若者が、なぜ死なねばならなかったのか、何のために命を投げ出したのかに答える、という約束である。

以上が新聞の三島由紀夫の抜粋であるが、三島が左翼学生と根本的に違うのは三島は戦後体制を否定するが文化、伝統を守るとの信条であり、学生は伝統、文化を否定し共産主義の革命を信条としているからである。
私の飽くまでの推論であるが、三島先生は日本の文化を守るイコール天皇を守ると謂うことであり、戦前の人達との約束を守るには政治的ではなく日本の伝統、文化の為に天皇がおられ、日本の伝統、文化的価値からすれば、天皇は神でなくてはならないのだと謂っているように思うのである。 

 

 

私事の一つに8月の引っ越しが有る。10年以上住みなれた家を転居しなくてはならない事情が出来たためだ。7月より物件探しが始まり、中古物件、貸別荘など一日に3件ほど回ってみたが、どれも帯に短し襷に長しである。
今回の物件探しの主要は、犬が飼える土地の広さが一番の条件であり、家の広さなどは二の次である。その結果の消去法で現在の韮崎市穂坂町柳平に居住することに決まった。私の人生、引っ越しの人生でもあり、山梨へ来て約15年間の間にこの地へ来るまで5回引っ越しをしたことになる。
?何故かの結論として、都会では甲斐犬のブリーダーは出来ないと謂うことだ。ペット・ショップで売られてい る小型のおもちゃのような犬なら街中でも出来るだろうが、柴犬以上の大きさを多頭飼いするにはまず無理だ。1〜2頭を飼うのなら出来るだろうが、専門にブリーダーをやるには、やはり田舎しかない。甲斐犬が甲斐の国の原産だから、山梨への拘りもあるのだが、父親系の父祖の地だからでもある。ただ住むのであれば、都会がいいのは当然だ。交通網、生活の利便性を考慮すれば、私は東京へ戻りたい。しかし犬屋として拘りと誇りと自信を持って、良犬を売る生業をしている以上、田舎でなくては出来ないのだ。今更夜のネオンなど恋しくもない(ちと恋しいが・・・)、それよりも甲斐犬のブリーダーとして終の棲家が得られた喜びの方が大きいのである。

 

 

11月の大相撲九州場所で白鳳が大鵬に並ぶ32回の優勝を飾った。
以前の「独り言」でも白き狼として白鳳を記事にしたことがあったが、私はこの白鳳に惚れたね。優勝インタビューで白鳳が何といったか、皆様の中にも記憶している方もおられると思うが、「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたからこの結果が有る」。そして続けて「天皇陛下に感謝しています」と述べて、涙を流したのである。嗚呼、これが日本の国技と謂われる相撲の体現者であり、横綱としての言葉であろう。
テレビがないのでリアルタイムではないが、ネットでテレビのインタビューを観た私も目頭が熱くなったのは謂うまでもない。日本人でもない白鳳が、今の日本人より日本人ではないか。2600年の世界に類のない皇室 を中心とした日本の歴史を理解し、皇室を理解しているのである。 今まで強い横綱は多くいたが、白鳳のような「神」発言をした横綱がいたのか。否である。来年の初場所では大鵬と対の32回の優勝を超えるであろう。
そして大横綱と呼ばれる白鳳よ、将来の角聖たれ。

 

 

12月は衆議院の解散総選挙があった。
結果は予想通り、与党圧勝に終わった選挙であった。しかし、野党第一党は相変わらずの腐った朝鮮民主党である。
今更ながらこの民主党に1票入れる大衆がいることに、日本の闇の深さを知るのである。共産党が伸びるのは理解できる。自民党に対するアンチテーゼであり、組織票を持つ強みでもある。しかしながら、共産党が政権を取ることは有り得ず、20議席獲得 したからと謂って大したことではない。だが、次世代の党が壊滅状態の方がより深刻な事態なのである。
選挙区は自民党、比例は次世代に入れた方が、普通の良識ある日本人であろう。突然の解散総選挙と謂えども、次世代の党の選挙戦略の間違いもあった。公明党をぶっ潰すと選挙中に蓮呼したのも戦術の間違いである。政治の信条としてテーゼとしては至極当然だが、選挙である。
今の経済状況や防衛問題を有権者に分かりやすく説得した戦略を取るべきであった。そして次世代を徹底的に無視したマスコミのせいでもある。私的には共産党より公明党を潰さねばならないとの政治信条はある。
皆様もご存じだろうか、以前池田大作が何を謂ったか!

「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者で あり、思想文化一切の指導者、最高権力者である」。

「独立国を作ろう、創価王国、創価共和国だ」は、あ〜、てめえ気違いか、と私など思うのだが、学会員には天の声、神の声と聞こえるらしい。 日本国がまともでない第一が、公明党が与党に与して居ることであり、公明党が政党としてある自体が狂っている事である。

しかし選挙である。真の戦後を否定する保守と戦後を肯定する戦後保守を合わせても日本人の3割くらいであろう。気違い左翼が2割、後の5割の日本人は付和雷同のノンポリで、風が吹いた方に1票入れる程度のレベルしかない、己の目先の欲しかないただの国民である。 民主党のPR宣伝の「夢は正社員」、テメエが言うな。名前も変えて社会党にすればいいんでないかい。そんで能書きは、実質賃金が下がっている。
実質賃金が〜実質賃金が〜雇用は拡大しているというが実質賃金が下がっているではないか。政府の責任ではないか。政府が〜自民が〜のバカ丸出し。

考えても見ろ。雇用が拡大すれば、実質賃金は下がって当然ではないか。つまり、雇用が増えると謂うことは、新入社員が増えると謂うことであり、簡単にに謂えば、ベテランが自給1500円であれば、まっさらは自給800円である。その新入社員が増えればベテランとの賃金差が平均すると下まわるだけのことである。それには新入社員が3〜4年経ってベテランに育つのを待たねばならないのであり、3〜4年の時間が必要なのは明白である。
株価と違い国民経済は、実行したら直ぐ結果が得られると謂うものではな い。バカは死なねば直らない。おいそこの朝鮮民主党テメエだよこの糞野郎

 

 

今年最後の旅行は加賀屋へいってきた

11月30日〜12月1日バスツアーで1泊2日コースは北陸自動車道で富山市にある富山名物のます寿司工場見学、そこで昼食を取り世界遺産の合掌集落(五箇山)を見学その中でも一番大きな集落がある相倉集落へ。

世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」とは、

1995年12月、ユネスコ世界遺産一覧表に文化遺産として登録されました。相倉には23棟の合掌作りが現存するが、約100年200前のものが多く、古いものは400年前に建造されたとい われています。屋根の勾配は急で60度断面は正三角形に近く雪が滑り落ちやすい形です。合掌の組み立てには釘は1本も使わず、屋根のふき替えは15〜20年ごとにおこなわれます。人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌作りと言えます。
秋篠宮殿下のこぼれ話として、秋篠宮さまが民宿で「私は、世界で三箇所好きなところがあります。その中の一つがこの五箇山なんですよ」と言われたそうです。

 

夕刻早めに和倉温泉加賀屋に到着。
ひと風呂浴びて部屋で夕食を取り、加賀屋豊作祭り(おはら風の盆踊り・能登御陣乗太鼓・こきりこ踊り・むぎや踊り)を見物、堪能して9時20分ころ終了。部屋は8階の海に面した眺望の素晴らしい部屋で、地 元産の芋焼酎のお湯割りでくつろぐ。いい旅館とは仲居さんの質が高い事であるが、加賀屋は別格だろう。
建物も大きく、仲居さんの数も大所帯であろうが、接客振りは大したものである。

ここで加賀屋の創業から現在までを紹介しよう。

 

明治39年小田興吉郎「加賀屋」を創業。昭和56年には、第6回「プロが選ぶ日本のホテル、旅館100て初めて総合第1位となる。平成10年国際標準化機構で国内の旅館、ホテルで初めて認証される。

平成26年第39回「プロが選ぶ日本のホテル、旅館100において34年間連続総合第1位の評価を得る。

昭和33年 昭和天皇、皇后陛下ご定泊

昭和43年 天皇陛下ご定泊 (当時皇太子 殿下)

昭和58年 昭和天皇ご定泊

昭和63年 天皇皇后両陛下ご定泊

平成6年 皇太子殿下 妃殿下ご定泊

平成8年天皇、皇后両陛下ご定泊

客室は総て純和風「客室は畳のすがすがしさや障子の温かみにこだわった純和風、さりげなく配した生花が繊細な四季をかなでます。忘れかけていた日本古来の情緒に抱かれ、大きな安らぎを感じる至上のひとときを感じて頂けます。

先代女将の自伝の一節におもてなしの数あるなかの一つに「夫はモーニーングを着た三助、掃除までやりました」の中で「夫は万が一のことがあっては取り返しがつかないことになると思い、モーニングを着たままお湯加減は勿論、掃除まで一切やりました。浴室の 横にわざわざ不寝番する部屋をつくり、お世話を致しました。のちに「モーニングを着た三助」と言われる所以です。

両陛下がお発ちになられるとき、従業員、家族一同のものが玄関に並んでお見送りを申し上げたのですが、陛下が私の前に皇后様が夫の前にお立ちになり、優しいねぎらいのお言葉を戴きました。私ごときいもったいないと思った途端、自分を抑えることができず、思わず大きな声で泣いてしまいました。それにつられたのか、みんな一斉に声を上げての嗚咽となり、なにをおっしゃられたのかよくわからず、翌日の新聞を見てわかったような次第です。
嫁いで三〇年目だったと思いますが、ただなんともいえないありがたい気持ちでいっぱいだったのです。

加賀屋のホー ムページより抜粋

もう一度というより何度も行きたいと思わせる加賀屋の一泊でした。年に一度位毎年いきたいものである。

 

 

御嶽山の噴火で沢山の犠牲者が出たこと対し、衷心よりお悔やみを申し上げます。

今回の噴火は突然の出来事で避けようがなかったとのことであるが、日本は地震列島の上に有ることを痛感させられた事故でもあった。
国土強靭化は絶対必要であり、地域の活性化と共に両輪の輪である。自然災害の犠牲者を少しでも減らすことと、災害後のいち早い復旧のためにも日本列島の強靭化は前進させなければならない。民主党のコンクリートから人への真逆をいけば正解なのである。 亡くなられた方々の御冥福を祈り、これからも生きて行く人々の生活も考えなくてはならないのだから。

 

 

高倉健が亡くなった。
あ〜また昭和が遠くなる。そんな気持ちになるのも私だけではないだろう。高倉健はやはり健さんであり、菅原文太はやはり文太である。 それは分の違いと謂うか生まれ持った器の違いなのかもしれない。しかし、菅原文太の「仁義なき戦い」シリーズは文句なく最高である。まああの広島弁の似合うこと。私が18,9であったが、渋谷の東映の映画館で毎週土曜は朝までオールナイトで観たものだ。
しかし、やはり健さんは東京弁だろう。関西弁は似合わない。「死んでもらいます」と「死んで貰いまっせ」ではえらい違いである。まああと九州弁も似合うだろう。
健さんは着流しにダンビラで チャカは似合わない。文太は戦後の混乱期のヤクザが似合う。ダンビラは似合わない。ともあれ銀幕のスターがまたいなくなったことは事実だろう。昨今の俳優に健さんを越せる俳優が居るとも思えないが、それにしても俳優としての高倉健は最高だったことは間違いない。お二人とも安らかに。

高倉健座右の銘  往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし

 

 

最近の私の音楽のマイブームは、スーパーフライである。何年か前から車のラジオからよく流れており、おおイイね、姉ちゃん歌うまいやんけ、くらいにしか思ってなかったのだが、毎度のホームセンターのワゴンを覗くとたまたまスーパーフライのCDがあるではないか。まあちょ っと聞いてみっかの軽いノリで買ったのであるが、私の知ってる曲名はタマシイ・レボリューションだけであり、そんな期待もせず車で聞いたら、何とラジオで聞くのと大違い、こりゃ本物だ、ロック調なのは仕方ないが、歌唱力といい、声の良さといい、英語の上手さと良い、まさに本物である。
改めて聞くタマシイ・レボリューションイイねイイね、志帆ちゃん最高てなもんだ。しかし、和製ロックグループもここまできたか。ワイルドフラワーもイイね。フライトゥザムーンもいいし、スパーフライ頑張れ

 

ジさまの戯言はこの辺にして、皆さまよいお年を

 

 

 

 

白川郷、相倉合掌造り集落

世界遺産・国指定史跡

 

富山名物ます寿司工場見学

 

 

 

相倉合掌作りの古民家の前で

 

加賀屋ホテルの部屋で

 

加賀屋主催の豊作祭り

(能登御陣乗太鼓)

 

 

おわら風の盆踊り

 

部屋での夕食

 

部屋での朝食

 

能登島の前で

 

 

ホテルの部屋で

 

 

加賀屋の前で

 

 

加賀屋の前で

 

 

 

 

平成二六年一二月

 

 

 

 

 

 

 

【 遠くの声を探して】日米の勝負は未だつかず、出光鵜佐三の示した民族の気概

 

 

 

【 海外の反応 】「日本には今も皇帝がいたのか」一般参賀の光景に外国人も感銘

 

 

 

 

【 韓国で最速の車 vs 日本で最速の車の加速対決!!】

車だけではない民度、経済、文化、総てこれと同じ

 

 

 

 

 

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