甲斐犬オヤジの独り言5



保健所イメチェン


環境省は平成21年度から、動物収容施設の支援に乗り出す。動物愛護センターや保健所を、捨て犬や捨て猫と飼い主の出会い場に。動物とのふれあいスペースなどを整備することで、ペットを探す訪問者が増加し、殺処分される犬猫を減らすのが目的。支援対策として、新年度予算案に1億円を計上した。対象となるのは、都道府県や政令市等が所管する動物愛護センターや保健所400カ所。これらの施設には、飼い主が引き取りを依頼した犬猫や、狂犬病予防法に基ずく犬等が収容されている。10年ほど前からは、ペットブームなどの影響で、流行感覚で犬の買い替えをする人が増加。都心部を中心に、チワワやコーギーなど小型犬の純血種が引き取られるケースも多いという。収容期間は施設によって異なるが、一定期間を過ぎても新しい飼い主が見つからない場合は、殺処分される。動物保護団体によると、建物が老朽化したものが多く、殺処分までの一時的な収容場所という意味合いが強かったため、冷暖房や病気の犬の隔離スペースがないなど、衛生環境の不備が指摘される施設も多いという。同省の統計では、平成18年度全国の施設で収容されたのはいぬが約14万2000匹、猫が約23万2千匹の計37万4000匹。このうち、約34万1000匹が殺処分となった。不妊、去勢手術の普及があっても16年度94.4% 17年度が93.1%18年度が91.2%と微減傾向にあるが、依然としてほとんどが殺処分されている。こうした状況を受けて、同省は、今後10年間で犬猫の引き取り数と殺処分数を半減させる基本方針を打ち出した。

(産経新聞 2月5日の記事より)

 

独り言のパート1でも捨て犬のことを書いたのだが、環境省でも支援対策に本腰を入れようという姿勢は評価できるが、全国400カ所で一億円の予算では結果が出るまで10年は掛かるだろう。本来は犬猫を飼う人のモラルの問題であり、流行犬を作りだすペット業界の問題でもある。バブルの頃大流行したシベリアンハスキーが人気薄となり、ゴールデンレトリバーが流行りだした2〜3年で、全国のハスキーがいなくなったことは今だ記憶に残っている。そして、ハスキーを「ばか,あほ,恩知らず」の犬とのレッテルを張った元の飼い主たち。私に言わせれば、「ばか あほ 恩知らず」だからハスキーのハスキーたる所以なのだ。極寒の地でソリを引くのに作出されたハスキーは、耐寒力と体力が有ればそれで良いのが本来のこの犬の特徴なのだ。本来のペット、家庭犬とはかけ離れた犬種なのだ。ソリを引く作業犬に、飼い主に対する忠実性は必要ないのである。馬車を引く馬に一人の飼い主への忠実性を求めるのか?それとおなじである。馬でもハスキー犬でもペットで飼えないことはないだろう。もし飼う場合はその種の特徴、特性を理解したうえで飼うことだ。猫の額程のキャパしかないのにポチ飼いでは犬もたまったものではない。北海道で犬ゾリ大会に出場するとか、家庭犬として飼う場合も十分な運動量を確保してやるとかの配慮が必要だ。特に大型犬を飼う場合には、居住スペースと運動量が大事なことはいうまでもないだろう。

犬を飼う場合その犬種の特徴、をよく理解することに尽きる。土佐闘犬をただペットで飼えば問題が起こることは初めから予想出来ることである。闘犬の競技に参加しないのであれば土佐闘犬は飼うべきではない。また知人、友人からただで貰ったという人も多いと思うが、基本的にはただで貰うべきではない。なぜなら貰った犬ほど粗末に扱いすぐ飽きるからだ。人の心理とはそんなもの。とくに雑種の犬に多く見られる。雑種の子犬を金を出して買う人も少ないだろうが(mix犬としてペット屋で売ってるらしい)雑種の犬に限り、去勢、避妊、は処置を前提として譲渡、又は飼うべきだろう。

個人的には雑種には一切興味はないのだが、ここ山梨では甲斐犬の雑種も散見する。そして甲斐犬の雑種の方が虎毛も鮮明に出ていることが多い。山梨犬か?そして雑化するほど耳がデカくなるように思う。古い甲斐犬愛好家には「甲斐犬の耳は真っ直ぐ大きいのがいい。」とよくいう人もいるが程度問題だろう。要は頭部や顔貌とのバランスの問題であり、デカければいいということではないだろう。

洋犬で感心することは、アジリティやフリスビーを使った運動管理だ。運動量の必要なボウダーコリーやシープドッグ系の犬には最適な競技、運動管理だと思う。甲斐犬だって走ることや耐久力ジャンプ力には洋犬には負けてない。日本犬の中でも一番だ。紀州犬で猟をやる和歌山の知人も、「山登りは流石の紀州犬でも甲斐犬には負ける。」「紀州犬でも登れない場所でも甲斐犬は平気で登ってしまう。」と悔しそうに話をする。だから私は月1〜2回は必ず犬達を山に入れる。熊と遭遇してもいいように、熊除けの鈴とトウガラシ入りスプレーは必ず携帯する。そして犬達の山登りの様子をみては「これぞ甲斐犬だ」と一人で悦に入るのだ。そこには展覧会とは全く違う野生の犬達がいる。そして犬達は私が何処に居るのかちゃんと察知しながら行動しているのである。帰りは私はさっさと車に戻り、犬達が戻る前に弁当を食べ一服していると犬達がハアハアいいながら戻ってくる。戻りの遅い犬で2時間、早い犬は私が車に戻る前に車の前で待っている。今まで1頭も戻らない犬はいない。戻らなかったのは夜放し飼いにしていた犬2頭だ。(約10年前 御坂の山中に住んでいた時)この2頭は完全に猪にヤラレタ。

死んだことは仕方がないこと。山中で獲物と闘って死ぬのも、名誉の戦死である。老衰で死のうが、戦死しようがどちらも天命だと私は思っている。犬の死に49日も法事も必要ない。死んだら次の犬を飼うことが先犬に対する供養だと思っている。世界で人が1日に何万人も、飢餓や食糧難で死んでいる。人類でさへ人が人を救えないのが現実なのだ。だから犬など粗末に扱えと言っている分けではない。所詮死生観の問題だが、犬は犬、人は人なのだ。

環境省が動物愛護センターや保健所の改修で10年後に殺処分される犬の半減を目標にすることは結構なことだが、人と犬がいる以上殺処分される犬は無くならないのだ。世間には、人気犬種を追いかけ、人気の無くなった愛犬を平気で保健所へ引き取り依頼する人も多いという。何故か理由を聞くと、今人気のある犬を飼いたいと平気で答えるという。こういう人でも犬のことを別にすれば、善良な市民なのである。つまり殺処分される犬の半減は人のモラル、道徳観の欠如の問題であり、これを解決しない限り殺処分される犬の半減もあり得ないということだ。



 2009年2月 代表 小林

 

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