甲斐犬オヤジの独り言3



丑年。


平成21年(2009年)は丑年です。牛は人類とともに歩んできた動物です。日本で牛が家畜化されたのは弥生時代中期とみられ、朝鮮半島を経由して、渡来人とともに入ってきたという。化石の多くが五世紀後半から六世紀の地層から出土していることから、このころから一般化していたとみられる。その後、日本の牛は海外の品種と接点を持たず、「在来牛」として繁栄してきた。日本でも、それ以前には野生の牛が生息しており、岩手県一関市花泉水町では約1万5000年前の牛の化石が見つかっている。「ハナイズミモリウシ」となずけられた。この牛はバイソンの仲間で、現在の家畜の牛とはつながらないという。在来牛は、現在主に見られる「ホルスタイン」などと比べて小さく、腰回りが小さいのが特徴。仏教などの影響で、日本でもたびたび食肉禁止令が出され、江戸時代などには、牛の肉は薬餌とされてきた。日本で品種改良が進んだのは、明治時代に入ってから。陸海軍で肉食が採用され、一気に普及したことから農商務省は明治33年、種牛改良調査会を設置。在来牛に外国品種を掛け合わせ、雑種が次々と生みだされた。明治36年、和牛改良に用いられた11外国品種が初めて紹介されたほか、「但馬」と「出雲」の2種の和牛も描かれた。  

現在、肉用の和牛品種は「黒毛和種」「褐毛和種」「無角和種」「日本単角種」の四種が登録されており、うち黒毛和種が全体の九割を占める。一方で、在来牛は離島だけに残り、見島(山口県萩市)の「見島牛」と口之島(鹿児島県十島村)の「口之島牛」のみ。国指定天然記念物の見島牛は昭和50年に約30頭にまで減少したが、約100頭までもどしてきた。又口之島牛は人が飼育していた在来牛が島南部で再野生化している。1和牛品種の中でも、「松坂牛」や「神戸牛」などブランドを名乗る牛肉は昭和50年代から増え始め、いまでは約200類にもなる。(産経新聞より一部抜粋)

家畜の牛が本格的に食用になったのは18世紀後半ごろ。産業が発展するのにともない、「牛乳」や「牛肉」といった目的別に育てられたのだが、何故そうなったのか。ヨーロッパが近代化、都市化する中で狩猟のため野生の牛が絶滅したためなのだ。そしてその進化の結果、現在の「ホルスタイン」はなんと年間2万キロもの乳量をだすようになり、肉牛では和牛に代表されるような筋線維に脂肪が混じる「霜降り」まで作られるようになってきたのである。専門家によると「家畜が改良されていく過程は、進化ではなく育種や淘汰にあたる。中でも霜降りは、本来ある筋肉の正しい状態とはいえない。」という。この育種の問題で重要なことは、牛の遺伝子が均一化していくことだ。つまり人工授精の問題だ。200万頭いるといはれるホルスタインのうち、父親はわずか200頭。更に卵子も選んでいけば、又更に育種が進むことになる。遺伝子操作やクローン技術が発展する可能性もあるだろうが、病気に対する怖さもでてくる。

つまり、新種の病気にかかれば全滅の怖れもでてくるということになる。人類はウィルスとの闘いともいわれる。このクローン技術や遺伝子操作で人間の病気や難病が、少しでも役立つことは結構なことには違いないが、それとてハドメが必要だ。このクローン技術や遺伝子操作で誰でも100歳〜120歳迄生きられるというワクチンや薬が開発されても、必要とする人は少数だろう。(それでも欲しいという人もいるだろうが)私は古い人間なので、尊敬する武将の一人、上杉謙信の「四十九年、一酔夢、一期の栄華、一杯の酒」これでいこうと決めている。医者に「あなたはもう手遅れです」と言われて死にたい。手遅れなら生に執着する必要がなく、「では死ぬまでもう一杯」となる。

私ほどクローン技術や遺伝子操作と無縁な人間はいないと思っている。子供達への遺言の第一が、延命治療一切必要なしである。だから別荘地に一人で住んでいる。血圧降下剤を飲まなければ、上が200以上、下が120以上でいつ血管がプッツンしてもおかしくない。タバコは一日50〜60本、焼酎毎日3合〜5合で、べつに自慢している訳ではない。これが私の普通の生活なのだ。(因みに若いころよりの飲み仲間の多くは40代で肝硬変で先にあの世にいっている。)知り合いはよく「一人で寂しくないのか」「病気になったらどうするのか」というが、ハッキリいって楽しいのだ。私のモットーの一つに、「淡然忘世栄」つまり淡然として世栄を忘れる。これは私の尊敬する起業家の会長さんが書を書いて送って頂いた物なのだが、私も気に入っている。私の解釈で、世の中どうであろうと生きるもサッパリ、死ぬもサッパリで、いきたいと思っている。ただ死ぬまでに納得のいく甲斐犬を一頭作出したい。「金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃもすこしいい犬欲しい。」が本音である。

私のモットーに三少しがある。一に少しの知性、二にすこしのお金、三に少しの勇気である。それともう一つは惻隠の心である。「情けは人の為ならず」である。サッパリ生きて、三少しを実践し、人の情けを大事にして、牛の歩みで本年を確実に一歩前進する歳でいきたいと思います。牛の話から取り留めのないことになりましたが、源友会の会員の皆様、本年もよろしくお願い申しあげます。

それでは、ショコタンが待ってますのでこの辺で(焼酎のこと)



 2009年1月 代表 小林

 

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