甲斐犬オヤジの独り言29



徒然なるままに・・・Part5-1」 

 

 

前回の独り言に続き、ちと甲斐犬に関して話をさせていただく。

さる12月3,4日源友会の祝賀会及び忘年会が、芦安の旅館白雲閣で開催され、源友会のメンバーが私を含め9名の参加で、地元の伊井さんを加えて10名での宴と相成った。勿論深夜まで甲斐犬談義に花が咲いたことは言うまでもないが、何故芦安での開催なのか。

私ども源友会は、3年前より芦安での勉強会を、毎年恒例行事として行なってきた。
それは皆様もご承知の通り、芦安が甲斐犬のふるさとであるからに他ならない。別に他意が或わけもなく、甲斐犬と謂う山梨産の犬と縁あって知り合い、出逢いがあり、人の輪が広がっていく過程で、遠路様々な地方から毎年参集出来る共通の場として、この芦安の地が最も相応しいとの想いからである。
初心忘るべからずである。

源友会も展覧会を中心に活動しているのだが、近いうちに狩猟部門を立ち上げる予定でいる。
参加メンバーは、九州佐賀県の古舘さん、同じく佐賀の宮崎さん、兵庫の平井さんを中心とするメンバーである。
中でも古舘さんは独りで、年間35〜40頭もの猪を仕留める実績の持ち主である。
グループ猟で年間十数頭の猪が精一杯の猟とはひと桁違うのである。

播磨の平井さんは、甲斐犬ブログでもお馴染みの方も多いと思うが、ご自身のブログにも箱罠で捕獲の鹿の写真等も載せていて、展覧会・狩猟共に将来有望な好青年である。
ここで忘れてはいけない方々もいる。展覧会をリタイヤした方、展覧会の成績より、良き家庭犬、伴侶犬として、展覧会や狩猟もご理解され、仲間として一緒に活動してくれている方々である。
そんな仲間の集いが甲斐犬源友会なのである。

甲斐犬愛護会の展覧会で昨今気がつくことは、他の展覧会に比べて若い人が多いことではないだろうか。
源友会でも若い方が増えていることは私にとっても、会にとっても大変喜ばしい限りである。

「ジ様だけでは先がねえってか」
 否そう言うことでなしに、私が嬉しく思う一番の理由は、流行りのお犬様でなしに、和犬である甲斐犬を若い方が選んでくれたことである。(今流行りの犬種があるのか知らないが)それに伴う話として、子犬をご希望の方々の年齢層での考え方の相違である。

若い方は「展覧会に出してもらえますか」の問いに、「展覧会は考えていませんでしたが、教えてもらえるのであれば出してみます」との即決の返事に対し、年配の方々は頑なに「いや、展覧会は考えていません。家庭犬が欲しい」の一点張り、取り付く島がない、そこに返事の違いがある。

若い方はやはり柔軟性があり、先見性がある。

家庭犬とは、室内外飼いを問わず、猟犬でも猟期以外は家庭犬である。
展覧会に出す犬でも普段は家庭犬である。
展覧会にも出せるクラスの犬をただ家庭犬では自己満足で終わる話ではないのか。
まして、子犬を値段でしか判断しない方は論外である。まあそれと以前の独り言でも書いたが、年配の方々は決まって「女房と相談してから返事します」との返事である。

別に相談するな、とは言わないが、「相談してから連絡くれよ」と謂いたくもなるのである。

しかし、何でも女房と相談して決めることにはちと合点がいかない。

家を買うにも女房と相談、車を買うにも女房と相談、飯のメニューも女房と相談、酒や煙草も女房と相談、着る物も女房と相談、仕事選びも女房と相談で、挙句の果てに夜女房に乗っかるのも女房と相談てか。
大分古いが、アンタはエライ。

歴史を知らない方に幕末の志士を紹介したい。
梅田雲浜(うんぴん)である。歴史を少しでも知っている方は、知らない方がおかしいというほどの人物である。
産経新聞・決断の日本史より一部抜粋


雲浜は若狭小浜藩の武家に生まれ、儒学を学び、尊王攘夷に目覚め幕府批判のため藩を追放となり、京に上って私塾を開き、細々と妻子を養っていた。
安政元年プチャーチン率いるロシア軍艦が大阪湾に入港するとの情報に、雲浜は攘夷決行を前にして、この時妻は結核を患い、幼子は枕のそばで泣いていたと謂う。そして「決別」と題した漢詩をのこした。


妻は病床に臥し、児は飢えに泣く。身を挺して直ちに攘夷を払わんと欲す。

今朝、死別と生別と。唯、皇天后土の知る有り

 

普通ではない家族の状況だが要約すると、家族を残し、自分は一身をなげうって外敵を打ち払うため出発するが、生きて再会出来るかは、天皇を戴く我天地の神のみぞ知る。というものである。

これは、男としての己の思想信条と、病気の床に臥す妻やひもじさに泣く幼子を前に、男としてどう決断すべきか,アンタはエライ方々はどのように考えるのだろうか聞きたいところだが、皆様お分かりの通りです。

答えは「女房と相談します」ハイ、ベストアンサーです。

アンタはエライ方々は「そんなのは時代が違う今の時代と一緒にするのはおかしい」「今は平和で民主主義の時代だからそんなのありえない」と謂うだろう。

だが、歴史の時空からすれば、60〜70年の平和など一瞬の瞬きに過ぎないのである。
明日尖閣諸島に、小型軍船を漁船に変造し、漁民に扮した軍人が上陸することなど有り得ないと誰が言い切れるのか。これは明日起こるか来年かの話ではない。

私の謂いたいことは、ある夜突然強盗が押しいった時に、女房、子供を守るために相手の強盗を殺す覚悟があるか!!と謂うことである。
相手を殺す覚悟なしに女房、子供は守れないとの常に自覚がありますか?ということである。
身近にはそんなことはなくとも、毎日のように三面記事に載るではないか。
うちはそんな金持ちではないから、などは通用しないのだ。

世の中切羽詰れば、たとえ一万円だろうが、否千円だろうが強盗に押し入る奴は出てくるのである。
私の謂うことは極端すぎると批判する方もいるが、私からすればその方自体が、平和ボケ症の重病者である。
梅田雲浜の「決別の詩」の心情をいつの時代であろうと忘れてはならないのが男の性であり、仕事に出かける亭主に炊きたてのご飯を自然に出せるのが女の性であると思うのだが、諸兄は如何お考えだろうか。

しかし、私も焼きたてのパンの美味さはしっている。
それはまさに、うら若き乙女のやわ肌のようなモチモチ感と芳醇な香りは筆舌に尽くし難いほどの美味さだ。
私は珈琲も日に6〜7杯は飲む、昨今は専らインスタントだが。
しかし、朝の一杯は必ずお茶である。御経の中にも朝一杯のお茶はその日の活力源であり、厄除けでもあると説いているそして必ず朝飯は米の飯である。日本人が朝米食わず何食うだ。
炊きたての飯に味噌汁だべ。「うん〜?うちは朝はパンとコーヒーで満足だ」、ハイハイご自由に。


それにしても日本憲政史上の汚点、汚物の腐れ左翼の民主党は、いつまで恥晒し続けるのか。
防衛相の一川という馬鹿左翼のアホよ。ブータン国王を歓迎する宮中晩餐会を欠席し、変態同僚の金集めのパーティーで

「ブータン国王が来て宮中で晩餐会があるが、私はこちらの方が大事だ」と挨拶した????

ただのアホか。
ブータンのワンチュク国王は国賓として来日しているのだよ。
その意味が分からないのか人非人め。一国の大臣というより日本人として万死に値する国賊以外の何者でもない。
その他に宮中晩餐会を招待されたが欠席した閣僚は、山岡、川端、細野等、日本人の仮面を被った外道以下の畜生どもである。

プラトンの代表作「国家」で何を語っているか。

個人にとっても国家にとっても、過度の自由によって導かれてゆく末にあるのは、過度の隷属状態への変化にほかならない

民主党の反日分子共よ、自由を履き違えて、この日本を何処へ売る気なのだ。

賢者は常に歴史に学ぶものだ。

古代ギリシャのアテネの民主制も建前上は、自由と平等であるが、衆愚政治と化し、下克上の無政府状態に陥ったのである。そしてその結果としてプラトンの謂う大衆を隷属させる独裁体制が待ち受けていたのである。
彼のナチス・ドイツを見よ。ヒットラーは自由選挙で選ばれた人物であり、始めからナチの総統として独裁政治を強行したのではない。自由と平等と民主政治の名のもとに選ばれたたのである。

日本の戦後左翼は独裁政治の鎧を隠し、自由、平等、人権を声高に叫び、カモフラージュしていることに今だ気づかぬダボハゼ=アンタはエラいが、民主党を支持しているのだ。
正に愚か。民主党の先にあるのは、アメリカの属国か支那中共の属国の二者択一に他ならぬことをダボハゼ=アンタはエラいは胆に命じなければならないのだ。

まあ無理か。朝日新聞とテレビを見てるようではもう終わってるな。
それにありもしない韓流ブームで朝鮮の属国にもなろうってか。今やネット対テレビ、日本軍対反日軍の戦いの真っ最中なのである。

誰が云ったか知らねども、日本の歴史は「ヒストリー」支那中共の歴史は「プロパガンダ」南北朝鮮の歴史は「ファンタジー」

う〜んうまい座布団一枚。  続く、、、

 

 


 

 

 

 

一服タイム,,, 

 

 

凛として愛

 

 

国会中継 (2011.12.06) 自由民主党・西田昌司 〜参議院予算委員会質疑〜

 

 

 

 

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