甲斐犬オヤジの独り言23



「犬一考」 


最も古い犬の骨はシリアの洞窟から発見されたものらしいが、それまでの発見は2万年〜1.5万年前のものである。
このシリアの洞窟は旧人のネアンデルタール人の住処で、つまりはネアンデルタール人もすでに犬を飼っていたのである。犬とは石器時代より人間の食べ物の残りをあさり、その周辺に住みつき、やがて人間に飼われることになった動物ということになる。犬が人間に飼われた初期は、人間に食われたと思えるバラバラの骨や、完全に無傷の骨もあり、時代が進むにつれ日本の縄文時代には、無傷の犬の骨が多く発見されている。
これは狩猟中心の時代には、犬は猟には欠かせないものであり、番犬の役目をし、更には良き伴侶となるに従って、人間の情けとして犬を殺して食うことをしなくな ったと自然に理解出来るのである。

西洋においては、人類の受けた最大の恩恵は、犬によっての牧畜の確立である。
狩猟中心の原始生活から、文化的な生活への第一歩は、犬がいなければ画期的な躍進は無かったに違いない。
古代人が牧畜における犬の働きにどれほど助かってきたかは、紀元前2千年〜4千年ごろの発祥とされるペルシャ最古の経典「アベスタ」には「地上の一戸の家たりとも、牧場の犬と、家の犬(番犬)と、この2種の犬にたよらずして存在しえるものはあらざるなり」とあり、それは近現代までも続くのである。
人類最初の家畜は犬ともい謂えるが、家畜の枠から抜け出し伴侶とまでなった動物は犬以外ないのである。
西洋でも特にイギリス、フランスでは動物愛護が厳しく、とりわけ犬に対する愛護感覚は私的にはいき過 ぎの感があると思うのだが、牧畜の長い歴史の中からの犬に対する愛情や、人と犬を結びつけたものはやはり心の絆なのであろう。

日本の犬はどうであろうか。
皆様ご存じのように、1万年以上前から日本列島に住んでいた縄文人は、東南アジア、南西諸島、台湾から島伝いに渡って来たと考えられているが、北方由来の縄文人も有力な説になっており、私も日本列島の縄文人は南方由来と、北方由来の混血が縄文人だと考えている。
犬の権威である田名部博士は、犬の血液からの遺伝子を調べた結果として、東南アジアや台湾在来犬が、北海道のアイヌ犬と同系列の犬であり、日本本土の犬と北東アジアや朝鮮半島から渡った犬が同系統だと指摘している。
私的に要約すると、本来の古い犬種が、縄文人と一緒に南方より日本列島に入り、のちに縄文後期人や弥生人と共に朝鮮半島より北方系の犬が入ってきたと解釈している。
縄文人の初期 は狩猟民であり(縄文後期は定住型になりつつある)当然猟犬として犬を伴い、南方より日本列島に入って来たもので、北東アジア、シベリア、サハリン系の北方系縄文人ではないことが推測される。

ここで少し縄文時代に触れてみたい。
縄文時代も初期から晩期まで相当長年に渡るのだが、土器のルーツと謂われる西アジアの壺も、年代的にはとうてい縄文土器には太刀打ちできない。
西アジアの壺は全て物を貯蔵するためのものであるが、日本の縄文土器は、煮炊き用に供され、そこにはそれを裏付けされる加熱の跡が残されているのである。
これは初めに書いた西洋の人類の進化である牧畜が、日本列島には一切起こらないことにも関係する重大な観点なのだが、牧畜や全面的に農耕を開始しなくても、日本列島には食糧を充分に調達できるある程度の生産性を持った豊穣で、一定の成熟度に達した文明が、日本列島には存在していたと謂えるのである。

稲作を文化と呼べるのは、弥生時代を待たねばなら ないが、水田稲作の知恵は縄文時期のかなり古い時期に既にあったとされているのだ。縄文時代が未開の原始社会ではないと謂うことである。
縄文前期の三内丸山遺跡の発見は、まさに驚異的な衝撃であろう。そこには遺伝配列が野生の栗とは違い、栗の栽培が行われていたことを示している。
栗の他には、エゴマ、豆、蕎麦、麻、さらには、牡蠣の養殖がおこなわれ、東京の北区中里貝塚では、牡蠣とハマグリの加工場跡が発掘されているのである。
そして壺であるが、世界最古とされる西アジアの壺(8千年前)で縄文の壺は1万年以上前で世界一最古であり、質量ともに抜群なのである。

さて弥生時代には犬はどうなっていくのか。
弥生人は縄文人と違い農耕民であり、稲作中心の生活をし、遺跡からも弥生時代の犬の骨は、縄文人の丁寧な犬の埋葬と違い、骨はバラバラで、頭骨は割られて、これは弥生人が犬を食用にしていた証拠である。
つまりは縄文人と弥生人は基本的には別人種である。
犬を食する習慣は農耕を元にする温暖な地方の民族に共通する。
今でも犬を食べるのは、シナ、朝鮮、台湾、フィリピンであり、犬料理がある。私もソウルでは何度も犬料理を食べた経験がある。最近では、新宿の大久保あたりで犬料理を出す店もあると聞くが、食べに行こうとは思わない。
以前の日本でも、赤犬は美味いとされていたが、私的には朝鮮族の影響が大ではなかろうかと思っている。

現代の犬はどうであろうか。
人と共に生活するようになり、犬同士の連携は殆どなくなり、原始の犬社会は人の社会に吸収され、事実上消滅していったことになる。「動物社会学」の著者アルファーデスは、
「人間の飼養下に入った家畜には、もはや社会的組織は存在しない」と述べている。

勿論現在でも原始の犬社会は存在する。
人に飼われてない犬、つまり野犬である。山梨の富士山麓には多数の野犬の群れが存在する。
飼い主に捨てられた犬や猟で逸れた犬達であるが、その子孫達は人の生活も愛情も受けたことのない、原始の犬社会の犬である。面白いもので、犬と狼は大変近いものを共有していて、野生に戻った犬は、ワンワンと吠えなくなり、人に飼われた狼はワンワンと吠えるようになるとのことで ある。
愛犬王と呼ばれる平岩米吉翁の著書にも、
「私も1930年以来、犬と一緒に飼っておいた朝鮮、満州、蒙古等の9頭の狼の大半が、やはり、犬と同じように吠えるのを観察している」と述べている。

さて、現代の日本犬及び甲斐犬は、どのような方向性を今後の課題、目標として行くのか。
そのことにおいては一つの結論しかない。つまりは、その犬の標準に従うことしかないのである。
一万年を超える縄文時代より、悠久の歴史を乗り越えてきた現代の日本犬及び甲斐犬を、洋犬よろしくその本質をつくり変えるなどとはあってはならない。

ではその本質とは何か。

日本犬保存会で謂うところの、悍威に富み、良性にして素朴の感あり、感覚鋭敏にして動作敏捷、歩様軽快である、とされているその本質とその表現であり、甲斐犬標準の、性微良く表し、素朴にして沈着勇猛性を備え、行動軽快にして、敏捷迫力があり特に帰家性強く、一代一主的傾向がつよい。
表毛剛直にして綿毛密であり、蓑毛を有する 。毛色は、黒虎毛、中虎毛、赤虎毛の三つに分類される。体系的には猪型、鹿型がある。体高はほぼ40〜50?。以上は変えてはならぬ原則、鉄則である。

沈着勇猛性と悍威は私的にはイコールと考える。
特に雄犬はこれがなければ論外。牝犬も又然りである。
甲斐犬で謂うところの毛色に拘れば、本質を見逃すことになる。赤虎の犬であれば、甲斐犬の特徴である蓑毛があるかであり、実際にはこの蓑毛がない犬が多いのも事実である。
よく真っ黒で虎がないのは甲斐犬と呼べない、と言われる方もいるが、私的には蓑毛のない赤虎毛の犬よりは上席だと判断する。勿論真っ黒の犬が良いと殊更に力説するつもりもないが、黒一枚に赤を掛ければ素晴らしい虎毛が出るのも事実であり、生後1年以上真っ黒一枚の犬が、2〜3歳で中虎に成る犬も実際に多くいるのである。
毛質で謂えば黒虎毛が基本だろうと思っているが、いずれにしても毛色より本質に拘ることで ある。

日本犬及び甲斐犬は、縄文の太古より連綿と血脈を受け継いできた日本の宝には違いない。
その宝を我々は受け継ぎ、次世代に渡していく責任があるし、日本の伝統、文化の継承に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

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