甲斐犬オヤジの独り言10



甲斐犬一考


甲斐虎毛犬調査報告 斎藤弘氏の昭和7年の記事を読んで。

甲斐日本犬調査記

甲斐日本犬を視察すると大略三つの体型に分類される。その一は俗に言う柴犬型であって茶褐色、黒褐色、薄茶色等の毛色をなし、体格小型で肩高一尺2,3寸位である。地理的に見ると、駿河国安部郡梅島方面の柴犬系統と思われるものが南巨摩郡早川上流の新倉、茂倉等の諸部落に残存しており、奈良田平林地方にも少数 見ることができる。北部地方は、御嶽奥の黒平より西保の諸村等に残存して居る。これは信州南佐久系と同一のものと考えられる。 (原文)

なるほどそうであろうと思う。西山地方、奈良田、平林は当然早川の上流にあり、早川の下流は富士川と交わり静岡へと繋がっており、当然人や犬の交流があって当たり前である。

これに関して疑義は生ぜず、至極当然と納得出来る。又、御嶽奥の諸村に残存していた柴犬は南佐久系だとする指摘も疑義は生ぜず、素直に納得出来るのである。富士川は昔は川船の重要な要所であり、海のない甲斐の国の生命線でもある。

現在は川船の往来はないが、富士川沿いの国道52号は静岡に抜ける重要な幹線道路である。御嶽と南佐久も清里を経て佐久へ抜ける国道141号も重要な幹線道路である。駿河の柴犬系が甲州へ、信州の芝系が甲州へは至極当然であろう。

第二は俗に云う猪犬型と称するものであって、私は平林、芦安、青柳の諸村各一頭見るを得たのであるが、この西山地方の猪犬はすべて西八代郡四尾連湖畔同名村より平林に連れ来った猪犬型の子孫である。友人の精進、本栖湖地方を探索した者の言を聞きしに、現在同地は絶滅したもののように思われる。これ等の体型のも のはいずれも虎毛であり肩高一尺六寸ないし一尺七寸、体重五貫ないし五、五貫位であり差し尾である。(原文)

この猪型の犬に関しては、現在は猪型の甲斐犬は絶滅している、とする巷の風評があるが、現実には存在しているのである。私の飽くまでも個人的な見解なのだが、昭和7年代に絶滅した猪型甲斐犬は四尾連湖地方の犬であって、当時も平林、芦安、青柳の諸村にこの猪型はの子孫はいた訳で、その血統が現在引き継がれてい ると考えられるはずではないか。確かに猪型の犬は少ないが、現実には存在していることがその裏付けになるのではないか。日本犬の権威、第一人者である斎藤氏のこの四尾連湖の猪型の甲斐犬は絶滅した、を短絡的に猪型甲斐犬は全て絶滅したと曲解したのではないだろうか。

第三は俗に云う鹿犬型のものであって、芦安、平林、赤石温泉、奈良田等の西山諸村及び黒平村奥寺等に残存して居る。由来、南アルプスの白根連峰の岩石産地は羚羊の棲息地として全国有数の個処であって、自然この岩山を疾走して羚羊を中型の体の軽快、敏捷、速力と持久力に富むが貴重とされ、この目的に淘汰飼養され てきたことは明らかに想像されるのである。この全国有数の羚羊棲息地を控えた諸村中第一に狩猟の盛んな部落は芦安村で、奈良田、平林、黒平はこれに次ぐものである。

この諸村中最も古い歴史を有するものと考えられる奈良田、芦安地方には昔より似た体型のものや、これよりやや小型の体型のものが飼養されて、盛んに羚羊、 熊等の猟に使用されて居ったものと推測されるのである。しかるに、今より十余年前の平林村の秋山猟師が中巨摩郡の四尾連村より猪犬型のものを連れ来ってから、その系統が西山諸村に繁殖し、猪犬体型の強く遺伝したものが現在にのこる犬であって、羚羊型体型を強く遺伝したものが全く従来の中型羚羊犬型に近く出たものと私 は考える。しからば、四尾連湖畔猪犬型系は大昔寄りこの地方に土着して居ったものであろうか。

私は、この系統が他地方に影響を及ぼしたことのあまり古くない事より考えて、この四尾連の猪犬はそれ程古良歴史を有せず、これもまた他の地方より伝え聞ったものではないかと思う。駿河国と甲斐国境地方に虎毛の居ることを聞い たことなく、先ず南方よりきたものとは考えられず、むしろ東方から伝流してきたものでなかろうか。昔関東地方には、秩父虎毛と云って有名な中型の獣猟犬が繁殖しておったと伝えられるが、現在でも猪型犬の日本犬を見ることが有る。これらの系統が甲州境より南西に伝流したものでなかろうか。(原文中写真、文章の一部削除 あり)

この第三、は非常に大事な個所である。本来の甲斐犬は鹿型であり、後から四尾連村から猪型で秩父虎毛の系統の犬が入って来たと推測しているのである。四尾連湖畔の猪型犬はそれ程古い歴史を有せず、と述べているのが本当なら、この指摘もなるほどそうであろうと思われる。つまり、古い歴史の裏付けがないことが、こ れを証明していることになる。そうでないなら、この四尾連村に猪型犬の古書、文献、口伝等が有ってしかるべきであり、ないから斎藤氏の指摘は肯定出来るのである。

柴犬型や猪型犬のものは、まだ他国により立派なものが現存見出すことが出来るのであるが、この鹿犬型のものがかくも立派な優れた体型、同系色系で、しかもかく多数残存して居ることは全国に比類のないことであろう。この羚羊猟虎毛犬こそ甲斐日本犬の代表であり、誇りとすべきものと考える。現在の羚羊猟犬の体格は だいたい肩高一尺五、六、七寸位、体重四貫ないし五、五貫、顔は心持ながく、四肢強健、特に飛節は最もよく発達して跳躍力に富み、尾は差し尾、毛は削剛である。如何にして、この体型の発達を見たかは、前述の如く白根山脈の壊れ易い岩山であること。猪は棲息せず熊は数少なく、主たる猟は速力に富み岩石地に棲息する羚羊であること等の理由により、この猟師の第一収入とする羚羊猟を目的に、今日迄自然の間に淘汰改良され来った為と思う。(原文)

斎藤氏は甲斐犬の鹿型の犬を誇りとすべきであると述べている。これを読んで改めて、鹿型の甲斐犬を見つめ直し、考え直すと共に、これを保存、愛護して来た甲斐犬愛護会の先逹のご苦労と見識に感謝申し上げる次第である。しかし、残念ながら現在の甲斐犬は鹿型と猪型との峻別は難しくなっている。勿論誰が見てもはっ きりと鹿型だと判断出来る犬はいるのだが、鹿型と猪型の中間が多数を占めているように思われる。これは時代の流れと肯定し、必然的と捉えるか否かの問題提起でもあろう。

だがしかし、斎藤氏の指摘の通り、甲斐犬の作出、繁殖者として、立派な鹿型の甲斐犬を世に送り出したいとの意欲が改めて湧き立つのである。私個人に少 しのポテンシャルがあるなら、今後の課題として取り組んでいきたいと思う。猪型の甲斐犬にはまた鹿型の犬にない魅力があり、やや大柄の雄犬の迫力も捨てがたいものがある。

文中の現在の肩高は一尺五、六、七寸とあり、現代に直せば、45〜50センチとなろう。又体重は四貫〜5,5貫で今日の15キロ〜20キロで、現代の甲斐犬とも合致している。雌犬はこれより小さく肩高が40〜45センチ、体重が10キロ〜15キロが妥当な数値だろうと思う。稀に雌犬で40センチを切る柴犬型も見かけるし、雄犬 の良犬で50センチオーバーの犬も見かけるが、甲斐犬愛護会が40〜50迄と謳って有る以上、展覧会での席次は当然無理である。お勧めはしないが、他団体へ行くか展覧会は諦めて、よき家庭犬として飼育するのも愛犬家であろう。又今は、日本カモシカは国の天然記念物であり、狩猟の対象足り得ないので、鹿犬型甲斐犬のお家 芸は残念ながら見ることのできぬまぼろしの猟と謂うことになる。至極残念である。

虎毛はだいたい三つに区別することが出来る。第一は黒色の勝ったもの、即ち白味かかった綿毛に茶褐色毛混じり、その間やや長毛の黒毛が生えて不規則的な虎斑を呈するものである。私は便宜上、黒虎毛と仮称する。第二は、黒虎毛よりも黒毛少なく、茶褐色と半々位の色彩を呈するもので、これを虎毛と仮称する。第三は 茶褐色地色又は薄茶地色に黒褐色の縞状の斑の入ったものである。私はこれを赤虎毛と呼ぶ。私の見た数十頭を、この毛色によって区別して見ると黒虎毛10、虎毛10、赤虎毛6の割合であった。私は黒虎毛が最も野性的感じ得を与えて、深い興趣愛好を覚えるものである。(原文)

虎毛の問題は今更の感であるが、私も個人的には黒虎に一番魅力を感じる一人である。ただ黒虎同士の交配はどうしても黒勝ちの子犬も生まれるので、黒勝ちの犬には中虎を掛けるようにしているが、それでも黒勝ちの仔犬が生まれるのは、雌犬の遺伝が左右していると思われる。斎藤氏の指摘される鹿犬型の立派な黒虎、中虎の甲斐犬を作出すべく今後も、甲斐犬愛護会延いては日本犬畜犬界の為に微力ではあるが、寄与、貢献致す所存である。



ちょっと一服どうぞ

   


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